南大東島 旅行・観光ガイド ブログ
南大東島の鉄道廃線跡 シュガートレイン
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シュガートレインの歴史
意外に聞こえるかもしれませんが、南大東島は、沖縄県で初めて鉄道が通った島でもあります。
一般に「シュガートレイン」と呼ばれるこの鉄道は、主にさとうきびの運搬を担っていたナローゲージの鉄道です。
全長29km、島を一周する環状線と、6つの支線が造られました。
- シュガートレインの写真集。
軌道の敷設は、島の開拓当初から進められ、当時は手押し貨車だったそうですが、時代の変遷とともに、蒸気機関車、ディーゼル機関車へと変わっていきました。
戦後、アメリカの統治下だった時代も、積極的に車両を導入し、路線の延伸も行われました。
1983年(昭和58年)、トラック輸送に切り替わり、路線は全て廃線となりました。現在は、一部の車両と、僅かな線路跡が遺るのみとなっています。
- 当時の資料が収蔵されている村の施設。
ふるさと文化センターに、当時の資料が収蔵されています。
2号蒸気機関車と8号ディーゼル機関車が屋外に展示されていました。
ナローゲージなので、小振りな車両であることが分かります。
機関車だけでなく、貨車も展示されています。
客車のような車両もありますが、便乗扱いで旅客も扱っていたそうです。
- サトウキビ運搬用の貨車。
- シュガートレインは島民の足としても活躍した。
ふるさと文化センターには、当時の記録映像がいくつか残されていて、自由に視聴できます。
お客さんが滅多に来ないこともあって、職員の方が付きっきりで説明してくれます。(飲み物もいただきました)
- ふるさと文化センター収蔵の貴重な記録映像。
線路の痕跡をたどる
では、実際に線路跡を歩いて、痕跡を探してみます。
- シュガートレインの路線図。
当時の路線図を見ると、非常に充実した路線網であったことが分かります。
ターミナル駅は、現在の在所にあり、車庫の建物は今でも活用されています。
- かつてこの場所は、貨物列車の拠点だった。
現在は、全て舗装されているので分かりづらいですが、車庫の跡地は、農作業車の整備場として生まれ変わっています。
奥に見える倉庫のような建物がかつての車庫で、この辺一帯は、島中の鉄道が集まってくるターミナル駅でした。
さとうきび畑を歩いていると、たまに線路が横切っている箇所があります。
敷設された線路は全て撤去されたようですが、舗装で埋め込まれた部分はそのまま残しているようです。
駅(集積場)は、数100メートルおきに置かれたといわれ、収穫の時期になると、台車をいくつも連結した列車が、工場に向かったそうです。
残念ながら、駅の跡のような遺構は見つかりませんでした。
- 何気なく道路と交差する廃線跡。
- 形状からして、踏切があったのだろうか。
線路の用地は、畑や民家の一部になっているケースが多いですが、明らかに、線路跡に木が植えられている場所がありました。防風林でしょうか。
西港・フロンティアロード
在所~西港にも西線と呼ばれる貨物線が通っていました。こちらの線路は、さとうきびの運搬というより、船に積み込む貨物の運搬のために利用されたと考えられます。
- 西港近くに放置されていた貨車の残骸。
西港近くを歩いていると、貨車の一部と思われる残骸が遺っていました。
- かつてここまで線路が延びていた。
西港~在所の線路は、海沿いを走っていました。現在、線路跡は舗装され、「フロンティアロード」と呼ばれる遊歩道になっています。
一見すると、ただの遊歩道に見えますが、切り通しや緩やかに造られた勾配は、かつての鉄道跡を感じさせます。
西港から塩屋海岸の入口まで来ました。線路はここで、在所方面と亀池方面に分岐していました。
フロンティアロードは、在所まで続いています。
開拓から80年間、島の産業を支えたシュガートレインの痕跡は、少しずつ消えつつあります。
シュガートレインが果たした役割、活躍の歴史は、ぜひ後世の人たちにも伝えていって欲しいです。
壺川東公園
ゆいレールの壺川駅(那覇市)を下車し、5分ほど歩いたところに壺川東公園があります。市街地にあるごく普通の公園なのですが、ここには、かつて南大東島で使われていた機関車が展示保存されているのです。
壺川東公園に到着すると、見覚えのある機関車を発見。南大東島にあったものに似ています。
水色の車両は、大東糖業5号内燃機関車。南大東島にあったものとは異なり、製造は加藤製作所(1967年製)のようです。
ちなみに、5号機関車の後ろにある台車のようなものは、実は蒸気機関車の残骸だそうです。ドイツ製(1913年)で、両備鉄道から譲り受けたものでした。残念ながら腐食がひどく、車体のほとんどが解体されてしまいました。
南大東島には、雨宮製作所製の2号蒸気機関車が保存されていましたが、それよりも前、つまり南大東島で最初に導入されたのが、この蒸気機関車だったようです。
ちなみに、なんでこんな街なかの公園に機関車が展示されているのかというと、1945年まで、ここにも沖縄県営鉄道と呼ばれる軽便鉄道が通っていたからです。
残念ながら、沖縄県営鉄道の痕跡を見ることはできませんが、南大東島の機関車を譲り受け、かつて線路が通っていた辺りに展示しているということなんですね。
- 5号機関車を横から見た様子。
5号機関車を横から見ると、エンジン部分が丸見えです。これは、壊れているわけではなく、排熱を考えて、当初からカバーが付いていなかったようです。南国の島で使われることを想定した設計だったのでしょうか。
運転席にも入ることができます。残念ながら、メーター類は全て取り外されていましたが。
- 南大東島の風景を想像しながら眺める。
運転席からの前面展望を眺めてみます。前方中央に排気筒があり、視界はかなり悪いですが、頭の中で南大東島の風景を投影しながら眺めていると、当時のイメージが膨らんで楽しいです。
南大東島よりも近い距離で機関車に触れることができる壺川東公園。島を訪れた人は、ぜひ立ち寄ることをおすすめします。
- 探索日
- 2013/04/28 - 05/01
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