南大東島 旅行・観光ガイド ブログ
南大東島の集落 在所・飲食店・商店
このレポートの別ページへ
“ありの木ならでは”の高品質な写真素材を販売中!詳しくはこちら
南大東島の中心集落
在所(ざいしょ)は、南大東島の中心集落です。行政機関、商店、飲食店、娯楽施設のほぼ全てがここに集中しており、北大東島も含めた大東諸島最大の繁華街を形成しています。
南大東島は、島の外環から中央に向かって標高が低くなる地形で、全体的に起伏はなだらかです。在所は、島の中央部からやや南西寄りに位置し、島の中では標高の低いエリアになります。
湖沼や森林も近く、自然に囲まれた住みやすい土地です。
前述の通り、南大東島は観光地として開発されているわけではないため、一般的な“南国の島”というイメージからはかけ離れた雰囲気です。
農業車両や工事車両が頻繁に行き来するせいか、道路が土で汚れていて、無用な場末感が漂っています。
繁華街の中心
在所の街は割とコンパクトにまとまっていて、大盛商店、ホテル吉里、割烹 喜作などが周囲を囲む交差点が、繁華街の中心です。ここを起点として、通り沿いに、居酒屋、飲食店、商店が並びます。
「みらく~る」は、島で唯一のパンとケーキのお店。残念ながら、営業しているところは確認できませんでしたが、向かいの大盛商店で、みらく~るのパンが陳列されていました。
- 島内で唯一のケーキ屋さん「みらく~る」。
1,500人近くの人口を有する南大東島には、多くの居酒屋・スナックが立ち並んでいます。
離島に共通していえることですが、島の男性は女性との出会いが少ないため、スナックや風俗店が流行る傾向にあります。
島には中学校までしか無く、また仕事も農業や漁業といった肉体労働が多いため、若い女性といえば中学生までで、年頃の女性は少数だそうです。
- 居酒屋、スナック、パチンコ店が並ぶ。
居酒屋が密集するエリアのほど近くに建つ、ひときわ高い建物(といっても5階建てですが)が、ホテル吉里です。
私は今回泊まりませんでしたが、島内唯一のホテルで、観光客の多くがここに泊まるものと思われます。
意外なことに、こんな絶海の孤島にも、パチンコ店があります。
小規模ながらも、中からは賑やかな音が聞こえてきます。島の数少ない娯楽なのでしょう。
- パチンコ店「パシフィック」。
南大東の商店
繁華街の真ん中に位置する大盛商店は、食品から日用雑貨まで、南大東で一番の品揃えを誇ります。
23時まで営業しているため、コンビニのような便利さがあります。
- 島内一番の品揃えを誇る大盛商店。
大盛商店といえば、豊富なお弁当も魅力です。
散策の昼食用に買ったお弁当は、350円で食べきれないほどのボリューム。
- 大盛商店のお弁当は、このボリュームで350円。
おにぎりやサンドイッチも美味しかったです。
- ジューシー(沖縄風炊き込みごはん)のおにぎり。
- 島の駐在所。
繁華街から坂を上ると、駐在所の通りに出ます。この通り沿いにも、いくつかの商店が立ち並んでいます。
まず、主にお土産を扱う太陽ぬ家(てぃーだぬやー)。旧空港跡地まで行かないと手に入らないラム酒関連商品が置いてありました。
- 島のお土産を扱う太陽ぬ家(てぃーだぬやー)。
与儀商店は、ホームセンターのような雰囲気。一応、食品も扱っていましたが、メインは農業用品と日用雑貨のようです。
- 日用雑貨から業務用品までを揃える与儀商店。
そして、Aコープ南大東店。食料品の品揃えに関しては、南大東随一です。
店内には、近海で捕れた鮮魚が並びます。朝捕れたマグロが、冷凍されずにそのまま店頭で売られているのは、南大東ならではです。
- 南大東産の新鮮なメバチマグロ。
与儀商店のそばには、ガソリンスタンドがあります。こちらも、Aコープと同じく、JA系列のようです。
- ガソリンスタンド。
公共施設
南大東島を代表する施設として、地方気象台があります。
南大東島は、日本列島に台風が接近する際の「入口」にあたるため、気象予報上、重要な拠点となっているようです。従って、単なる観測所ではなく、予報権限のある「地方気象台」という位置づけになっています。
ただ、島民の方の話では、台風が島に直撃することは、そんなに多くないそうで、影響は、高波や強風程度なのだそうです。
在所には、役場やスポーツセンターなど、村の施設が集中しています。
幼稚園、小学校、中学校は、一箇所にまとまっています。
校門の前には、教育用の信号機があります。島内で唯一の信号です。
- 幼小中学校前の信号機。
在所の西側
南大東島は、さとうきびの島として民間の手で開発されたため、開拓当時から、多くの労働者が島に居住していました。
在所の南西寄りのエリアは、かつて精糖会社の社宅が立ち並んでいた場所だそうです。一部は現在も大東糖業の社宅であり、現代的なコンクリート造の住宅に改築されています。
一方で、長屋造りの住宅も遺っていて、古き良き時代を想像させます。
ひかり公園は、在所の西端に位置する公園です。
ここにはかつて病院があったそうです。詳しい史実は分かりませんが、かつては多くの季節労働者が居住したはずなので、それなりに大きな病院も必要だったのでしょう。
今の島の様子からは想像できないことです。
- 病院の跡地に造られた「ひかり公園」。
- 南大東村商工会。
在所の西の端に位置するのが食堂「光」です。繁華街から少し離れていますが、ここも夜は居酒屋になります。名物はお好み焼きだそうです。
- 在所の街外れにある光食堂。
光食堂の少し先にあるのが、漁業組合です。朝行くと、魚が解体される現場が見られるそうです。
- 新鮮な魚の競りが行われる漁業組合。
製糖工場(大東糖業)
南大東の経済を支える大東糖業(株)の製糖工場が、在所の南にあります。シンボルマークは「DS」(おそらく、Daito Sugarの略?)です。
絶海の孤島にあるとは思えないほどの巨大な工場で、ここで精製された砂糖は、全国各地に出荷されます。
もともと南大東島は、玉置商会という企業が単独で開拓・所有していた社有島でした。当時、玉置商会は製糖会社であり、多くの労働者を島に住まわせ、さとうきびを作らせました。
島丸ごと一企業が統治していたため、行政機関は無く、港湾・学校・郵便局・商店などは、全て玉置商会が運営していたそうです。また、流通する通貨は、日本国の貨幣ではなく、玉置商会独自の貨幣だったそうです。
そういえば、繁華街にある大盛商店にもDSの冠がありました。今も製糖会社が出資しているのでしょうか。
煙突に書かれた「さとうきびは島を守り島は国土を守る」という標語は、何とも重々しい言葉ですね。大東諸島の経済は、さとうきび頼みですから、確かに仰るとおりです。
- 大東糖業の南大東事業所。
戦後、アメリカの統治下となり、ようやく行政機関が設置されました。しかし、現在でも、島の経済を製糖会社が一手に担っている構図は変わっておらず、また、多くの土地が製糖会社の社有地だそうです。
ですから、土地の改変を行う際は、製糖会社の同意が必要なケースが多いのだとか。
大東糖業の工場の敷地内には、さとうきびの収穫に使われる大型トラックが並んでいました。あれも、社有のトラックなんですよね。
次のページ:「大東そば 富士食堂・ちょうちん・飯処 nomo」
- 探索日
- 2013/04/28 - 05/01
- このレポートの目次