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三七山展望台・ひょうたん山・椎取神社(三宅島の観光スポット)

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三七山展望台

三池地区から神着方面へ向かうと、三七山園地という場所を通ります。村営バスの「三七山」停留所があり、高台が展望台として整備されていて、駐車スペースやトイレがあります。

三宅島の地図

三七山展望台
三七山は、1962年の噴火でできたスコリア丘。

三七山は、1962年(昭和37年)の噴火でできたスコリア丘です。噴火は海抜150~200メートル付近から上下に広がり、雄山の8合目付近から海まで至る火のカーテンとなりました。30時間に渡る噴火の後、激しい地震が1ヶ月以上も続いたそうです。

ひょうたん山

三宅島 ひょうたん山
1940年に噴火したひょうたん山。

三七山展望台からは、1940年(昭和15年)の噴火により誕生した「ひょうたん山」を望むことができます。

三宅島 ひょうたん山 都道
ひょうたん山がある場所は、かつて海中だった。

1940年の噴火では、20箇所近くの小火口で噴火が起こり、ひょうたん山は、その一つでした。現在の火口は、直径100メートル、深さ30メートルあり、噴火当時は海側にもう一つ火口があったそうです。噴火前、この辺りは海中だったそうです。

三宅島 ひょうたん山の海岸
ひょうたん山の裏にある海岸。

ひょうたん山は、自由に立ち入って歩くことができ、火口の縁に立って、中をのぞき見ることが可能です。

三七山展望台から見た雄山
背後には、険しい雄山の姿がある。

背後を眺めると、険しくそびえる雄山の姿があります。雲か噴煙か区別の付かないモクモクとした白煙が、雄山の火口を覆っていました。

三宅島雄山の噴煙
雲か噴煙か分からぬモクモクとした白煙が雄山を覆う。

1940年の噴火は、およそ1ヶ月続き、当時赤場暁湾に面した島下集落を壊滅させました。死傷者は30名に達し、51戸の住宅が被害を受けたそうです。現在も、この地域に住人が戻ることは無く、三七山からひょうたん山を経て椎取神社に至るまで、人家がないエリアが続きます。

三七山 ひょうたん山と都道
都道はこの先、美茂井方面へ続いている。

椎取神社

椎取神社は、三七山を下り、ひょうたん山を抜けた先にある島下地区の神社です。

三宅島の地図

三宅島の椎取神社
ひょうたん山の近くにある椎取神社。

この神社には、佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)の第八子、志理太宣命(しりたきのみこと)が祀られているそうです。事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島に渡った時の第一歩はこの地とされ、ここは事代主命と佐伎多麻比咩命の愛の巣とも伝えられています。

椎取神社 参道
椎取神社の現在の参道。

椎取神社は、2000年の噴火の際に大きな被害を受けました。現在は、隣接地に社殿が再建されていますが、かつての参道と本殿も残されています。

椎取神社の本殿

2000年の噴火により、この一帯には大量の火山灰が降り注ぎました。降り積もった火山灰は、雨が降ると泥流になります。椎取神社は、度重なる泥流の被害により、すっかり埋もれてしまいました。

椎取神社 噴火の影響 枯れ木
かつては深い森に囲まれていたといわれる椎取神社。

上端を残してほとんど埋没した鳥居がありました。ここがかつて参道の入口だったことを想像できるでしょうか。

椎取神社 埋もれた境内
噴火の影響で埋もれてしまった、かつての境内。
三宅島の椎取神社 鳥居
2000年の噴火後に泥流が押し寄せ、壊滅的な被害を受けた。

埋もれた鳥居の先へ歩いていくと、本殿の屋根だけが顔を覗かせている異様な光景があります。鳥居と同様に、泥流に埋もれてしまったようです。

三宅島 椎取神社の本殿
本殿の屋根だけが顔を出している異様な光景。

椎取神社の周囲は原生林に囲まれ、かつて三宅島の中でも特に深い森林だったそうです。しかし、現在は、当時の面影を感じることはできません。

三宅島 椎取神社 噴火による泥流被害

泥流により埋没した樹木は、根からの呼吸ができなくなり、やがれ枯れてしまいます。また、この地域は、2000年の噴火以降、火山ガス濃度が高くなったため、無事だった樹木も次々と立ち枯れていったそうです。

現在は、オオバヤシャブシやクロマツなどの幼樹が根を張り、定着してきており、緑は少しずつ再生しています。

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探索日
2014/04/30 - 05/03
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