三宅島 旅行・観光ガイド ブログ
三池・沖ヶ平地区・サタドー岬・三池浜・村役場
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沖ヶ平地区
坪田地区を抜けて空港を過ぎると、三池・沖ヶ平地区へと入ります。前述の通り、この先は、2000年の噴火以降、火山ガス濃度が高いエリアとなっています。
かつては居住制限がありましたが、2013年に解除され、一定の条件を満たせば住むことができるようになっています。――とはいっても、10年以上も居住が禁止されていた地区なので、荒廃が激しく、戻る人も少ないようです。
沖ヶ平地区の入口に、三宅村の村営バスの車両基地があります。2000年の噴火前までは、観光案内所としても使われていたそうです。三池港と三宅島空港の中間にあり、観光の拠点として便利な場所だったのでしょう。現在は、火山ガスの影響が少ない阿古地区が観光の拠点として機能していて、観光案内所も、阿古地区の錆が浜港に移転しています。
- かつて観光客の拠点となっていた観光案内所。
沖ヶ平の中心に到着しました。周囲は見ての通りゴーストタウンと化していて、人通りは皆無。民家も数軒ありますが、窓に板が目張りされていて、人の気配を感じません。
村営バスの「沖ヶ平」停留所周辺には、かつての賑わいを想像させる洒落た建物が並んでいました。
かわいい三角屋根が目を引く建物は、三宅村商工会館。商工会館の向かいには、三宅村役場の立派な庁舎がそびえ立っています。現在これらの施設は、ほとんど使われていません。
- 沖ヶ平の集落。
村役場の敷地に入ってみます。
- 現在は使われていない三宅村役場。
三宅村役場の庁舎は、地上3階建ての立派な建物。デザインにもこだわっている様子で、ちょっとお洒落な外観です。2000年の噴火により、まだ新しかった庁舎を捨てざるを得なかった役場職員は残念だったことでしょう。
庁舎の屋上に見えるのは、防災無線のアンテナでしょうか。一部の設備は今も使われていると思われます。
役場前の駐車場には、三池港で使われるものと思われるクレーン車や地元業者のトラックなど数台が停まっていました。
敷地内は、定期的に手入れされているようですが、雑草は伸び放題といった印象。階段のコンクリートが剥がれていたり、窓ガラスがくすんでいたりと、経年劣化が目立ってきています。建物が使われることなく劣化していくのは、本当に惜しいです。
なお、現在も正式な役場の所在地はこの場所から変わっていません。「暫定庁舎」として、廃校となった阿古中学校の校舎が利用されており、いずれガスが治まればここに戻りたい、という意志を感じます。
沖ヶ平地区に入ってから、確かに少し硫黄臭い感じはありました。今も、日によってはガスの濃度が上がるため、気管支が弱い人は、長時間の滞在を控えるように呼びかけられています。
三池地区
沖ヶ平を抜けると、長い下り坂に差し掛かります。坂道の下に広がる集落が、三池地区です。
集落のすぐ近くに美しい三池浜を擁し、三池港も近いことから、夏場は海水浴客で賑わったそうです。
しかし、現在は多くの民家が空き家となり、一部は取り壊され、更地となっています。上から眺めると、草木が侵食し、集落全体が自然に還りつつある様子が見て取れます。
三池の街を歩いてみると、時折車が通過するだけで、人の気配を感じることはありません。
道路はきれいに整備されていて、歩道には可愛らしい花が咲き乱れていました。人で賑わっていた頃は、きっと美しい場所だったのでしょう。
民家が取り壊され、基礎のコンクリートだけが残っている区画をあちこちで目にします。この街を去った住民たちも、苦渋の決断を迫られたのだと思います。
三池地区の背後の土地は、すり鉢状に窪んでいて、雄山からの火山ガスが流れて来やすい地形となっています。これが、三池の火山ガス濃度が特に高い理由です。
私が滞在していた間も、雄山の方からは白いガスが流れ込んできていて、硫黄臭さを感じました。居住制限が解除されたとはいえ、生活するにはなかなか厳しそうな環境です。
サタドー岬
サタドー岬は、島の東端に突き出た岬で、三池浜を見下ろす位置にあります。高さ20~30メートルの断崖絶壁となっています。
三池の集落を抜けて坂を登ったところにT字路があり、ここが岬の入口になっています。
岬に向かう途中、大きめの施設跡を見つけました。集会所か商業施設っぽい外観ですが、閉鎖されているようで、人影はありません。中を覗くと、椅子などの備品が積み上げられていて、一通り片付けられている様子でした。
あとで調べたところ、「三七山スポーツ公園健康ランド 逢ノ浜の湯」という温泉施設だったようです。サウナや露天風呂も完備し、館内には軽食店もあったそうです。2000年1月にオープンしたようですが、火山ガスの影響で、居住が制限されたため、閉鎖を余儀なくされたのでしょう。開業から1年経たずに閉鎖ということですから、本当に気の毒です。
岬の先端へ進んでいくと、数軒の空き家がありました。先ほどの温泉施設と同様に、火山ガスの影響で立ち退いたのでしょう。火山ガスさえ無ければ、絶景を望める素晴らしいロケーションだったのだろうと思います。
例によって、周囲には立ち枯れた木が目立ちます。雑草は、空き家を覆い隠すほどに成長してきていますが、樹木は、一度枯れるとなかなか元には戻りません。
サタドー岬の断崖絶壁は、海に流れ込んだ溶岩が波の浸食を受けて形成されたと考えられています。噴火の年代は分かっていません。
なお、岬の上からだと分かりませんが、サタドー岬の断崖には、柱状節理を見ることができます。これは、溶岩流が海水で冷やされた際に、溶岩の収縮によって発生する特徴で、ここからもサタドー岬が噴火時の溶岩流で形成されたことが分かります。
ここは、沖原海岸と同様にウミガメやイルカの生息地となっていて、運が良ければ姿を捉えることもできるそうです。
サタドーの語源には諸説あり、「地獄」を指すヒンディー語であるという説と、「便りや知らせ」を意味する「沙汰」だという説があります。
サタドー岬の先端には、サタドー岬灯台があります。サタドー岬灯台は、昭和29年に初点灯された高さ14メートルのコンクリート製で、内部は公開されていません。
- 灯台の手前には、荒れ果てた廃墟がある。
この灯台、昭和34年までは、なんと風力発電によって電力を賄っていたそうです。風力発電をやめた理由は不明ですが、強風で破損した場合のメンテナンスに手間がかかったからではないかと想像されます。
かつて風力発電機が設置されていた台座は、現在も残っているそうです。
- 探索日
- 2014/04/30 - 05/03
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