三宅島 旅行・観光ガイド ブログ
三宅島 雄山への行き方・南戸林道・雄山環状線林道
このレポートの別ページへ
“ありの木ならでは”の高品質な写真素材を販売中!詳しくはこちら
南戸林道で雄山に向かう
三宅島に来たからには、一度は登っておきたい雄山。ということで、富賀神社の近くにある「村道雄山線」の起点に向かいました。ここから七島展望台がある雄山の中腹まで、およそ4kmほどの上り坂が続いています。
ところが、この日、村道雄山線は工事中で、通り抜け不可。迂回路として案内されたのは、南戸林道という道でした。
- 村道雄山線の入口。訪問時は通行止めだった。
南戸林道の起点は、阿古地区の北寄りにあり、小さく「南戸林道」と書かれた看板が立っています。民家の脇にさりげなく入口があり、何も知らない観光客は、この道が雄山まで続いているとは気付かないでしょう。
- 村道雄山線の迂回路である南戸林道の起点。
村道雄山線と比べると、いかにも林道っぽい細道です。この道、Googleマップに記載があるものの、途中で途切れていて、七島展望台とどのように繋がっているかが地図からは読み取れません。小回りの利く原付だったから良かったものの、普通の乗用車だったら結構厳しかったかもしれません。
- 南戸林道を登っていく。
途中、NTTの施設がありました。ここは、小手倉無線中継所と呼ばれ、御蔵島や八丈島の無線通信を中継するための施設です。
そもそも三宅島は、神津島、御蔵島、八丈島、青ヶ島の4島の通信網の中継地となっていて、以前は、三宅島の設備が止まると、三宅島以外の4島の通信網も使えなくなるほど重要な拠点でした。2000年の噴火の際は、全島避難後も通信設備維持のために燃料交換などが続けられたそうです。
現在は、伊豆半島と繋がる海底ケーブルが八丈島まで直結するようになり、三宅島の施設が停止しても、八丈島と青ヶ島が孤立することはなくなりました。しかし、御蔵島との通信は、現在もこの小手倉無線中継所が担っていて、三宅島が通信網の要所であることに変わりありません。
小手倉無線中継所から少し登ると、急に視界が開けました。阿古の街並から雄山山頂までが一望できます。よく見ると、道路には補修の跡があります。土砂崩れがあったのでしょうか。
この辺りは緑が豊かで、まだ噴火の影響はそれほど見受けられません。林道の起点から、原付で10分ほど走ってきましたが、雄山の山頂は見上げる位置にあり、まだまだ先は長そうです。
南戸林道をまっすぐ進むと、何やら巨大な構造物が姿を現しました。ここは、鉄砲沢と呼ばれる場所で、目の前に見える構造物は、砂防堰堤だそうです。
見慣れない「スリット式」と呼ばれる巨大な砂防堰堤は、土石流を止めるためのものらしく、流木や巨石が引っかかるようになっています。ここは、1983年の噴火で阿古地区を襲った溶岩流の通り道で、今後、火山灰が堆積すれば、土石流などが発生しやすくなります。三宅島には、こうした危険箇所が多くあり、砂防堰堤を建設し、二次災害に備えているのです。
また、この場所には、防災科学技術研究所の火山観測拠点があり、地震計や傾斜計などが設置されています。
鉄砲沢を過ぎると、ようやく南戸林道の終点となります。林道の起点から、原付で20分ほど掛かりました(途中、写真を撮りながらだったので、余計に時間が掛かっています)。
- 南戸林道の終点。
雄山環状線林道
雄山環状線林道は、雄山の山腹をぐるっと一周する林道です。2000年の噴火により壊滅的な被害を受けましたが、現在は復旧工事が進んでいるようです。南戸林道の終点を右折すると、七島展望台方面へ向かうことができます。
2000年の噴火前、この辺一帯には村営牧場の「三宅村ふれあい広場」があり、畜産展示資料館や遊具を備えたレジャー施設となっていました。近くには、駐車場のような広い空き地と、屋根がズタズタに壊れた牛舎の廃墟がありました。
それでは、七島展望台方面へ向かいます。南戸林道とは対照的で、樹木が無く、見通しの良い道路が続きます。
2000年の噴火では、火山灰や噴石などの堆積物により、泥流が多発したといいます。雄山環状線林道の周辺でも、噴火堆積物や泥流により、地形が変わっている場所が多く見られました。恐らく、林道が泥流に飲み込まれた箇所もあったと思われますが、現在は綺麗に復旧されています。
見晴らしの良い風景が続きますが、車通りは皆無で、人の姿はありません。不気味なほどの静寂に包まれていて、不思議と緊張感が高まっていきます。
- 探索日
- 2014/04/30 - 05/03
- このレポートの目次