三宅島 旅行・観光ガイド ブログ
三宅島 村営牧場(牧場公園)・七島展望台・雄山の眺め
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村営牧場(牧場公園)の跡地
南戸林道・雄山環状線林道を経由して、村道雄山線の終点にたどり着きました。本来は村道雄山線が正規のルートで、南戸林道に比べると、だいぶ走りやすそうな道です。
- 村道雄山線。本来はこちらが正規ルート。
この辺りには、かつて村を挙げて整備を進めていた「牧場公園」がありました。牧場公園とは、雄山の山腹を利用した広大な村営牧場と、観光客向けのレジャー施設を組み合わせたもので、1983年の噴火後に土地改良が行われ、1995年頃から本格的に営業を開始。三宅島の復興の象徴として観光の目玉スポットになるはずでした。
しかし、2000年の噴火により、牧場公園は見るも無惨な荒野へと姿を変えます。施設や道路が破壊されただけでなく、多くの家畜も犠牲となりました。全島避難の際、半数以上の家畜がやむを得ず置き去りとなり、村営牧場に放置された多くの家畜が死亡したそうです。
牧場公園は事実上閉鎖されていて、唯一被害を免れた七島展望台だけが、観光スポットとして残りました。今も、七島展望台より雄山側は、火山ガスの高濃度地区に指定されていて、立ち入り禁止となっています。
現在、駐車場のようになっているこの広場は、レストハウスがあった場所です。噴火前は、ここから雄山方面に向かうこともできました。
現在は、七島展望台の来訪者向けに公衆トイレが整備されているほかは、何もありません。
公衆トイレの向かいにあるコンクリート造りの廃墟は、牧場公園の管理棟と思われます。
この建物は、コンクリート造りのため、原形をとどめた状態で残っていますが、鉄骨造の建物は、火山ガスの腐食により、跡形もなく崩れ落ちてしまっています。また、木造の建物は、高温の火山灰で火災が起こり、焼失したとのことです。
せっかくなので、中を覗いてみましょう。窓や扉が無くなっているので、ほぼ野ざらし状態です。中には、資材やゴミが散乱しています。電気の配線跡も見られるため、やはり事務所のような用途の建物だったのでしょう。
廃墟の背後に建つ青色のサイロには、「三宅村営牧場」と書かれています。気になるのは、上端に書かれている「椎の木ランド 約2km」という表示。矢印の指す方向には、先ほど通ってきた「ふれあい広場」の牛舎跡などがあります。あの辺りを「椎の木ランド」と呼んでいたのでしょうか。
- 駐車場の近くにそびえるサイロ。
青いサイロに隣接して設置されている白い装置は、ドップラーソーダーと呼ばれるもの。音波を使って、上空の風向きと風速をリアルタイムに観測する装置です。三宅島では、火山ガス濃度の上昇が予想される地区に警報を出していて、航空機の運航判断などに活用されています。火山ガスは、雄山の火口から風下に流れる傾向があるため、それをドップラーソーダーで予測しているのでしょう。
誰もいない山腹に、定期的にビープ音が鳴り響いていました。ドップラーソーダーが発している音だと思いますが、無人の荒野にこだまする電子音というのは、なぜか不気味に感じます。
これだけ見通しの良い広大な風景の中で、人影は皆無。緑もまばらで、廃墟と一面の荒野が広がる様子は、人間が絶滅した後の世界のようです。植物が少ないためか、虫や野生動物を見かけることもほとんど無く、言葉を選ばずにいえば、“死の世界”という表現がしっくりきます。
- かつての牧場公園のマップ。山頂にハイキングコースがあったようだ。
牧場公園の案内図が立っていたので見てみると、かなり広大な敷地だったことが窺えます。先ほど通りかかった南戸林道の終点辺りに、「ちびっこランド」や「畜産展示資料館」などがあったようです。
かつては、テニスコートやバギーに乗れるアトラクションまであったそうですが、現在は、その面影すら感じることはできません。
興味深いのは、案内図に雄山の山頂に繋がる道路が描かれていること。山頂近くには駐車場があり、火口を散策できたようです。火口には、「八丁平ハイキングコース」や「雄山サウナ」と書かれています。雄山サウナというのは、山頂付近にあった噴気地帯で、当時から白煙が上がっていたようです。八丁平には、豊かな緑が広がり、ウメバチソウなどが見られたとのこと。
現在火口は、噴火により陥没し、火山ガスが絶えず噴出しているため、非常に危険な場所となっていますが、かつては、車で気軽に行けるハイキングスポットだったんですね。
この先は、火山ガスの濃度が高い「高濃度地区」に指定されているため、一般人の立ち入りは禁じられています。ただ、山頂へ向かう道路が封鎖されていない様子を見ると、観測業務などで出入りしている人がいるのでしょう。山頂を仰ぎ見ると、火山ガスのせいか、白くもやが掛かっているのが分かります。草木が枯れ、生き物が住まなくなった風景は、まるでこの世の終わりを見ているようです。
遠くに見えるコンクリート造りの建物は、「三宅島青少年研修・スポーツセンター」という施設だそうです。食堂や浴室を備え、宿泊が可能な施設だったようです。
噴火後、村営牧場があった土地の多くは砂防堰堤の建設用地となったため、牧場再建の見通しは全く立っていません。さらに、現在、三宅島には畜産農家が居ないことから、三宅村も牧場の再建には消極的です。
骨組みだけが残るこの廃墟は、牧場公園のレストハウス跡です。島の人の話だと、噴火前から開店休業状態だったとのこと。
実は、開業当初から、牧場公園は期待通りに来場者が増えず、次第に施設の休業が多くなっていったそうです。雄山の噴火によって、とどめを刺された格好となりました。
七島展望台
七島展望台へ向かいます。七島展望台は、レストハウス跡の脇の道を進み、奥の小高い丘を登ったところにあります。道は舗装されていて、車も通行できそうな幅があります。
- レストハウス跡の脇を通り、七島展望台へ向かう。
七島展望台がある丘は「二男山(になんやま)」と呼ばれ、溶岩やスコリアが積み重なってできた噴石丘です。1983年の噴火では、この付近で最初の火口が開き、海岸まで達する火口列を形成しました。七島展望台の付近に積もっている黒いスコリアは、その当時の噴出物です。
七島展望台に到着しました。目の前に広大な赤土が広がります。この赤い土地は、古い噴火で溶岩が高温酸化したものだそうです。
七島展望台からは、御蔵島や神津島が望めるらしいのですが、この日はもやが掛かっていて、御蔵島の島影を辛うじて確認できる状態でした。
2000年の噴火による火山灰や噴石、火砕流、その後の泥流や土石流によって、村営牧場や周辺施設は、壊滅的な被害を受けました。また、現在も噴出が続く火山ガスの影響で、植物が育たないため、雄山の斜面は、雨による浸食が続いています。
雄山の山頂には、直径1.6kmの火口が形成されていて、火口縁からほぼ垂直に450メートル落ち込んでいます。火口からは、現在もモクモクと火山ガスが噴出しているのが分かります。
七島展望台の脇にも、何やら荒廃した施設跡を見つけました。泥流で埋もれたのか道が繋がっておらず、完全に孤立しています。七島展望台からスコリア丘を駆け下りて潜入してみました。
コンクリート造りの事務所っぽい建物と貨物コンテナが放置されています。気になるのは、コンクリートで平らに整地された土地。
- 資材置き場だったのだろうか。
後で調べたところ、ここはかつてテニスコートだったようです。コンクリ造の建物は、恐らく更衣室かトイレの跡だと思われます。建物の前の広場は駐車場の跡地で、コートは隣の敷地にありました。
建物に入ってみると、先ほどの廃墟に比べて、内部が片付けられている様子でした。内装は綺麗に剥がされ、ゴミは一通り運び出されたようです。
どうやら、このテニスコートは1983年の噴火より前に造られ、83年の噴火により被災したようです。つまり、牧場公園の開業時には、既に廃墟であったと考えられます。
1983年の噴火では、予知が間に合わず、噴火時にテニスコートでプレイしている人が居たそうです。犠牲者が出なくて本当に良かったです。
- 探索日
- 2014/04/30 - 05/03
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