礼文島 旅行・観光ガイド ブログ
北のカナリアパークへのアクセス・知床の町並み
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香深から知床(しれとこ)へ向かう
知床(しれとこ)は、礼文島の南端に位置する集落です。香深から知床まではバス路線があり、知床が終着となります。桃岩展望台コースの南側の起点でもあり、ハイカーたちの往来が絶えない場所です。
香深から知床への道は、概ね平坦で、海岸に面した集落に沿って進んでいきます。
尺忍(しゃくにん)・差閉(さしとじ)・奮部(ふんべ)
香深の外れに差し掛かると、「尺忍(しゃくにん)」という集落に入ります。この辺りは、まだ香深の一部という感じ。香深港に近いためか、宗谷バスの車両基地やヤマト運輸の集荷センターがあり、物流拠点として機能しているようです。
尺忍を過ぎると、「差閉(さしとじ)」という地区になります。これといって特筆するものがない集落ですが、人気観光スポットの「北のカナリアパーク」が近く、香深方面からアクセスする場合には、「第2差閉」バス停が最寄りとなります。「北のカナリアパーク」へは、第2差閉バス停から坂道を登って徒歩15分ほどでアクセスできます。
「北のカナリアパーク」は、映画「北のカナリアたち」で撮影用に建設された「麗端小学校岬分校」をそのまま保存した観光スポットです。映画撮影用に造られたセットではありますが、細部にこだわり抜いて古びた雰囲気を出しているようです。(私は立ち寄りませんでしたが)
- 奮部(ふんべ)は海と家の距離が近い。
差閉を過ぎると、「奮部(ふんべ)」という地区に入ります。この辺りから海岸線に沿って防波堤が目に付き始めます。他の地区に比べて海岸と住居が近く、高低差も小さいため、高波に対する警戒感が強いようです。「緊急避難場所入口」と書かれた看板もありました。民家の背後には急斜面が迫っているため、いざというときには、高台に登れるようにしているのかもしれません。
- 下見板張りの昔ながらの建物が多い。
「フンベ」はアイヌ語でクジラを意味するようで、もしかしたら、クジラがよく見られた地域なのかもしれませんね。
奮部~知床には、他の集落に比べて、昔ながらの“下見板張り”の民家が多く見られます。現在はカラフルな外装の民家が増えつつありますが、グレーの板張りに赤や青のトタン屋根というスタイルは、礼文島では標準的だったようです。
- 防潮堤でしっかりと囲まれた奮部漁港。
さすが「花の島」と言われるだけあって(?)、海岸の岩場にも、たくさん花が咲いていました。オレンジ色の花は、「リシリヒナゲシ」でしょうか。山で見た「エゾノコギリソウ」も、岩場でたくましく咲いていました。
知床(しれとこ)
知床の集落に入ると、海岸にはたくさんのカモメの姿。知床漁港が、カモメの生活拠点になっているようでした。(そのためか、防潮堤がフンまみれですごい状態に…)
- 知床漁港がカモメの生活拠点になっている。
知床集落は、谷間のやや開けた土地に住宅が密集し、崖が迫る海岸沿いにもずらりと家々が並んでいて、礼文島の中では、まあまあな規模の集落といえます。海岸道路は、集落の終端で途切れていて、ここで行き止まりとなります。
集落の中心部には「知床」バス停があり、香深からの路線バスは、ここで折り返します。バス停から山の方に進んでいくと、桃岩展望台コースの登山口があります。ちなみに、登山口のやや東の高台に位置する建物は、尺忍小学校の校舎だそうです。尺忍小学校は、既に廃校となっていますが、校舎はきれいな状態で保存されています。
- この道を登っていくと、桃岩展望台コースの起点がある。
この日は天候が悪かったこともあってか、人通りが皆無でしたが、桃岩展望台コースの終着点であるため、普段は観光客で賑わうはずです。また、集落自体もそれなりに住民がいるため、集落内には数軒の商店や民宿があります。
散策中、郵便マークが掲示された民家を見つけました。地図を確認しましたが、郵便局や商店ではないようです。「切手・はがき・印紙・ゆうパック」という記載があったため、一般の民家が、郵便局から一部業務を委託されているのだと思われます。(こんな形式があるんですね…)
知床は、礼文島最南端に位置するため、島内では最も利尻島がよく見える場所です。この日は悪天候のため、利尻島のほとんど全体が雲に覆われ、残念ながら島全体を眺めることはできませんでしたが…。
また、方角的に、夕日がよく見える場所でもあります。夕日を見るなら、知床集落の終端に位置する「カランナイ岬」に行くのが良さそうです。(道道40号線の終端は、ちょっとした駐車場のような広場になっていて、乗用車を駐車したり、旋回したりすることが可能です)
知床地区にある知床漁港は、礼文島で最南端の漁港です。船溜まりは小さめですが、船揚場にはたくさんの小型船が陸揚げされていました。
- 多くの小型船が陸揚げされていた。
- 探索日
- 2015/09/20 - 22
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