父島(小笠原諸島) 旅行・観光ガイド ブログ
父島 板長 戦跡ツアー・夜明山
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海軍通信隊本部跡
小笠原諸島には、悲しい戦争の歴史もあります。かつてこの父島には、「父島要塞」と呼ばれる日本軍の要塞が築かれました。
父島での地上戦は行われず、アメリカ軍から空襲を受けただけで済みましたが、同じ小笠原諸島の硫黄島では激しい地上戦が繰り広げられ、いずれ父島も、と緊張感が高まったことでしょう。
また、当時は輸送船が爆撃に遭い、物資が不足していたことから、非常に厳しい環境下で、要塞の建設と防衛が行われていたことが想像されます。
- ワゴン車で迎えに来てくれる。
父島には、戦跡ツアーがいくつかあり、申し込めば誰でも参加できます(要参加費)。密林の中を歩くため、単独での探索は遭難の恐れがあります。また、立ち入りにガイドが必要な保護区域もあるので、原則、ツアーを利用するようにしましょう。
今回お世話になったのは、戦跡ガイド 板長の名で知られるガイドさん。宿まで車で迎えに来てくれました。(おがさわら丸出港日の半日ツアーだったため、通常日程より内容は少なめです)
戦跡は島の至る所に点在していますが、今回のメインは夜明山です。
まず、連れて行ってもらったのは、海軍通信隊本部跡。割と大きな建物が、今でも遺っています。
建物は二階建ての構造で、発電機が据え付けられていた跡が遺っています。
壁が一部崩壊しているのは、空襲による損傷とのこと。コンクリートに穴を空け、天井まで変形させるとは、当時の空襲の恐ろしさが分かります。
海軍通信隊の戦跡はこれだけではありません。近くには、全長約150メートルの地下壕もあり、こちらもなかなか大規模な遺跡です。
本部の地下壕とあって、壕の断面も大きく、多くの兵士がここで過ごしたことが想像されます。
中には、発破用の爆薬の跡が遺っていたりして、結構生々しいです。
陸軍山砲
- あえて目立たない場所に造られた壕。
一見すると気が付かないところに、地下壕が掘られていました。中にあったのは、陸軍の7.5センチ山砲。
全体的に錆びて朽ちており、動かすことすらできない状態ですが、こうした遺物が、ありのままの姿で保存されているのが、小笠原ならではだったりします。
12センチ高角砲
ガイドさんに連れられて階段を下りていくと、そこにあったのは、12センチ高角砲。
コンクリートで固められた地下壕は、朽ちた様子もなく、当時の様子を生々しく伝えています。
砲身が向いている先は、初寝浦でした。アメリカ軍の上陸に備えて造られたのでしょうか。
夜明山の陣地
夜明山には、即席で陣地が造られ、多くの兵士が暮らしていたようです。
オガサワラビロウの大きな葉を重ねて屋根にしたり、穴を掘ってトイレにしたりと、極限の環境下にあったことが分かります。
コンクリートで造られた建物も、いくつか点在しています。炊事場の近くには、旧帝国陸軍のマークが入った食器が落ちていました。
円形の台座は、元々砲台用に造られたようですが、結局砲台は使われず、会議場として利用されたようです。
父島のジャングルでよく目にするマルハチの木。ちょっと気持ち悪い模様が特徴的ですが、割と頑丈らしく、建材として重宝されたとのこと。
八八式7センチ野戦高射砲
最後に見せてもらったのは、野戦高射砲です。高角砲と同様、丁寧にコンクリートで固められた地下壕に据え付けられています。
製造年は、昭和十六年でした。こんなきれいな状態で遺っているのは、離島だからこそ、ではないでしょうか。
高射砲が狙っていたのは、境浦・扇浦など島の西側。
この夜明山の陣地が、父島最後の砦として、島の防衛の要を握っていたことが分かります。
- 探索日
- 2012/11/20 - 25
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