野崎島 旅行・観光ガイド ブログ
海から見た舟森集落
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野崎島の舟森集落
舟森は、野崎島の南端にあった集落です。野首と同様、キリシタンによって造られた集落でした。戦後は34世帯150人まで人口が拡大しましたが、昭和40年には13世帯80人まで縮小し、翌年には住民全員が小値賀島へ集団で移住したそうです。
舟森までのアクセス路は険しく、野首から山道を延々1時間強歩くことになります。この道は「里道」と呼ばれ、歴史的な価値が認められ、旧野首教会と同様に、世界遺産候補となっています。
今回は、時間的な都合で徒歩での散策を諦め、帰りの町営船「はまゆう」から舟森集落の撮影を試みます。
「はまゆう」は、野崎島を時計回りで迂回し、小値賀島へ向かいます。そのため、舟森集落のある島の南端を通過するタイミングがあります。
一ツ瀬と舟森集落
「はまゆう」は、野崎島と中通島の間を抜けていきます。この二島は非常に接近していて、最も近いところで、約600メートルしか離れていません。中通島からは、イノシシが海を渡って野崎島にやってくるらしく、度々目撃されています。中通島のイノシシは、野崎島を経由して、小値賀島にも上陸しているようです。
野崎島の南端には、一ツ瀬と呼ばれる釣りのポイントがあり、この日も多くの釣り人で賑わっていました。一ツ瀬は、舟森の先に飛び出した岩礁で、干潮の時は、舟森と地続きになります。
いよいよ舟森集落跡が見えてきました。集落は、斜面に張り付くように造られていて、集落の全体を眺めるなら、海上からの方が適しています。
そもそも、なぜこんな場所に集落ができたのでしょう。一説によると、当時、禁教令で処刑され掛かっていたキリスト教徒を小値賀島の島民が引き取り、人目を避けたこの場所に住まわせたことが、集落の起源といわれているようです。
野首教会と同時期に舟森にも「瀬戸脇教会」と呼ばれる教会が建てられたそうです。野首教会と瀬戸脇教会で交互にミサが行われ、その度に、信者は野首~舟森の山道を行き来していました。
なお、集落の中央に見える十字架は、後年に立てられた記念碑だそうです。
- 集落が広範囲に渡っていたことが分かる。
船からだと、細かい集落の様子までは分かりませんが、広い範囲に段々畑が築かれていたことが見て取れます。
舟森を通り過ぎた「はまゆう」は、あっという間に野崎島を離れ、小値賀島へ向かいます。
小値賀島の人と話すと、「野崎島は何もない島だよ」と素っ気ない感じで言われることが多かったです。「遠くから来る人ほど、野崎に行きたいって言うのよね」って笑われたりもしました。きっと、小値賀の人には、そのくらい身近で、日常の延長上にある島なのだと思います。
昔、神社が造られて、そのあと教会もできて、そして誰もいなくなった島。本当に、たったそれだけのことなのかもしれません。
- 探索日
- 2015/05/01 - 02
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