野崎島 旅行・観光ガイド ブログ
野崎島の廃村 野崎集落・無人島の廃墟
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野崎集落を歩く
野崎集落は、野崎島最大の集落でした。西暦704年ごろ、沖ノ神島神社の神官が奈良から移り住んできたのが、集落の起源だといわれています。当初は、野崎が島で唯一の集落で、野首や舟森はまだありませんでした。
昭和30年ごろ最盛期を迎え、当時の人口は、野崎・野首・舟森をあわせて650人を超えていたそうです。集落の周りに見られる石垣や段々畑は、その頃に築かれたものだといわれています。
しかし、昭和40年代に、野首・舟森に住んでいたキリシタン住民が集団離村し、島の人口が激減。高度経済成長の時代、自前の産業を持たない野崎地区も、徐々に衰退していったそうです。
インフラが整備されたのもその頃で、島外から海底ケーブルにより電力供給が始まりました。現在は、小値賀島と宇久島の二島から、二系統で電力が供給されています。
野崎集落は、野崎島では唯一、住居の遺構がしっかり残っている地区です。野首集落と舟森集落は、離村の時期が野崎より早く、住居跡はほぼ残っていません。
野崎集落は、町営船が発着する港のそばにあり、気軽に散策できます。ガイドツアーに申し込めば、ガイドさんの詳しい説明を聞きながら回ることもできます。
傾向としては、やはり海に面している家屋ほど、倒壊が進行しているようでした。海風や高波の影響があるのでしょうか。
島内では鹿を見かけることが多いのですが、集落内にも度々侵入しているようで、鹿の糞が至る所に散らばっています。
鹿は警戒心が強く、基本的に人を襲うことはありませんが、一人で散策中に鹿の群れに遭遇すると、ちょっとびびります。
また、鹿だけでなく、イノシシも集落内に入ってくることがあるようで、イノシシの突撃により、石垣が壊されるなど、被害を受けていました。
集落内でも、家屋の形状をとどめているもの、瓦礫しか残っていないものと状態は様々でした。おそらく、立ち退いた年代によるのでしょう。
集落内はアップダウンがありますが、全体としてコンパクトにまとまっています。徒歩移動がメインだったのか、道幅は細く、車が通れる感じではありません。
石垣は集落の至る所で目にします。定まった様式は見られないので、住民が思い思いに積み上げていったのでしょう。
板張りが施された住居は、定期的に家主が手入れをしているのか、荒廃は最小限でした。家財道具も残されているのかもしれません。
所々に、立派な邸宅が見られるのも、野崎集落の特徴です。古くから住んでいる家系でしょうか。漁業でそれなりに収入を得ることもできたらしく、意外と生活は豊かだったのかもしれません。
野崎島最後の住民
野崎島が無人島になったのは、平成13年のこと。野崎島で最後の住民となったのは、野崎集落に住んでいた沖ノ神島神社の神官でした。
前述の通り、野崎島に人が住み着くようになった始まりは、沖ノ神島神社の神官が移住してきたことでした。以後、1300年に渡って、神官がこの島を守ってきたことになります。
最後の神官は、岩坪さんという方で、岩坪さんが住んだ邸宅は、野崎島の観光コースとなっています。
港から続く集落のメインストリートを進むと、両脇を石垣に挟まれた集落の中心部に出ます。所々にできた木陰が涼しくて気持ち良いです。岩坪さんのお宅は、この先にあります。
この辺りは、立派な邸宅が多かったのか、一区画が広くなっています。コンクリート造りの基礎部分が今も残っていました。
井戸のような遺構があり、そばには石仏が祀られていました。目当ての邸宅は、この先です。
メインストリートの最奥部にある神官のお宅に到着しました。年季が入っていますが、立派な邸宅です。つい最近まで使われていたので、当然ながら集落の中では一番状態が良い家屋跡です。
観光協会のガイドさんの許しをもらって、敷地内に足を踏み入れてみます。
入り口に酒の大瓶やビールのケースが積み上がっていました。離島という性質上、こうしたゴミが捨てにくかったのかもしれません。神官といえども、もちろん普通の生活をしていたわけです。
玄関の前には、ちょうど見頃を迎えた藤の花が咲き乱れていました。主を失った住居にも、季節は巡ってきています。
ちなみに、世界遺産登録を見据えて、この邸宅をビジターセンターとしてリフォームする計画があるそうです。国立公園という制約上、新たな建物は建設できないため、既存の住居を活用したいという思惑があるのでしょう。
生活の痕跡
集落のおおよそ中心に位置する場所に、ガジュマルの巨樹が立っています。住民たちの心のよりどころだったのかもしれません。
近くには、今にも崩れそうな邸宅がありました。木造家屋は、放置しておくと、いずれこのような結末となるのでしょう。近い将来、野崎集落に建ち並ぶ家屋は、次々と崩れていくことでしょう。
集落の中心地から少し坂を登った高台にも、木造家屋を見つけました。今は草木が生い茂っていますが、当時は港を見下ろせる絶景ポイントだったのかもしれません。
- 探索日
- 2015/05/01 - 02
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