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赤山地下壕・海洋技術学校

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赤山地下壕

赤山地下壕は、全長が約1.6kmにも及ぶ、館山市最大の地下壕です。

館山海軍航空隊の防空壕として使われたと考えられ、壕内には、格納庫、兵舎、発電所のほか、病院施設まであったらしく、一つの町のような機能を持っていたといえるかもしれません。

赤山地下壕 管理事務所
赤山地下壕の受付を兼ねる豊津ホール。

現在、赤山地下壕は、館山市によって管理されており、入場料(大人200円)を払えば、誰でも見学することができます。

受付は、隣接する豊津ホール内にあります。ここでヘルメットなどを装備します。

赤山地下壕の入り口

赤山地下壕の内部
手掘りの広い空間が特徴的。

海軍航空隊のバックアップ用の要塞という位置づけらしく、広々とした造りが特徴的です。天井も高く、背の高い大人でも歩きやすいです。

いざという時には、本部機能を丸ごと移設することも考えていたのでしょうか。

地下壕内壁の表面

一方で、素掘りのまま使用されたため、ツルハシの跡がそのまま残っていたり、地下壕の延伸に計画性がなかったりと、「戦況が悪化する中で、慌てて造ったのでは」との指摘もあります。

この点については、資料が遺されていないそうなので、いつ着工し、いつから使われていたのかは不明です。

赤山地下壕 出口付近
壕の開口部が非常に大きい。
赤山地下壕 出口付近
天井には、発電機が取り付けられていた痕跡が残る。

ちなみに、戦後、この地下壕はキノコ栽培に利用されたそうです。(キノコ栽培だけでは持て余す広さですが)

通路の脇に設置されている風呂釜などは、戦後になってから、キノコ農家がこの場所に置いたとのこと。

風呂釜
戦後キノコ栽培で使われた際に設置された風呂釜。

内壁に地層が見える

内壁に地層が浮かび上がっている部屋がありました。意図したものではないのでしょうが、ある種のアートと言えるかもしれません。

壕内の立入禁止フェンス
公開されているのは一部で、立入禁止区域がある。
地下壕の奥行き
奥が見えないほど長い通路。

一通り歩いてみて、よく造ったな…というのが素直な感想でした。

一般には公開されないエリアもあり、非常に広大な地下壕です。地下に、これだけの“町”を築くことができるのか、という驚きがありました。

地下壕の部屋
長い廊下から各部屋が分岐する構造。
赤山地下壕 居住空間
現役の頃のままその形を残す。

ちなみに、赤山地下壕の周囲には、公開されていない別の入口もあります。

住宅の裏で、ぽっかり口を開けている地下壕は、赤山と同規格で造られた壕のように見えます。燃料や火薬の貯蔵庫かもしれません。

地下壕 非公開エリア

住宅の裏の地下壕跡

中華料理 富士見亭

赤山地下壕の近くにある「中華料理 富士見亭」で昼ご飯を食べました。

自衛隊基地のすぐそばなので、関係者が食べに来るのかもしれません。

中華料理 富士見亭
赤山地下壕からほど近い「中華料理 富士見亭」。

富士見亭の店内

店内はカウンター席がメインですが、テーブル席もいくつかあります。

富士見亭の厨房

許可を得て厨房を撮影させていただきました。勢いよくフライパンを動かす姿はさすがです。

生姜焼き定食

ラーメンも餃子も絶品でした。

ラーメン・餃子

海上技術学校

館山海上技術学校は、船員を養成する国立の学校です。館山基地の南、赤山地下壕の西にあり、房総フラワーラインに面しています。

海上技術学校の角の道を山側に入っていくと、木々に覆われた小高い山のような区画があります。

海上技術学校近く 「海軍省」の石標

この場所に、「海軍省」と書かれた石標が立っているのを見つけました。別の角度から見ると、「東京湾要塞第一区地帯標」と書かれています。

「東京湾要塞第一区地帯標」

石標だけかと思って辺りを見回して見ると、この小さな山にも、横穴が掘られていました。

埋没した横穴

コンクリートで封鎖された防空壕

四角く、半地下のような空間

既に入口は塞がれているか、埋まっていましたが、中を覗くと、割と大きな空間が遺っていました。

住民が防空壕として掘ったものなのか、それとも、軍が主導して掘った何らかの格納庫なのか。あの石標を見る限り、後者の可能性が高そうですね。

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探索日
2012/02/04 - 05

このレポートには、さば柄氏 ・ nokinoshi氏 からご提供いただいた写真が含まれています。

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