館山の戦跡 旅行・観光ガイド ブログ
大房岬公園 要塞跡・弾薬庫・探照灯施設
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大房岬自然公園
浜金谷駅で内房線に乗車し、富浦駅で降りました。最初の目的地、大房岬自然公園へ向かいます。
大房岬は、太平洋戦争まで、要塞が築かれていた重要な軍事拠点でした。(このため、一時地図から消されていたそうです)
現在は、自然豊かな公園として観光スポットになり、園内にはホテルも造られています。しかし、当時の要塞跡は今でも遺されていて、戦争を語り継ぐ遺跡となっています。
- 浜金谷駅に館山行きの内房線が入線。
- 富浦駅で下車。
富浦駅から大房岬自然公園へは、およそ3km。徒歩で行く場合、勾配のきつい上り坂を40分以上歩くことになります。
そこで、今回利用したのは、市営路線バスの「さざなみ号」。土日は4往復の運転。ただし、この路線は「デマンド運行」という仕組みをとっていて、事前に電話予約があった場合のみ運行されます。
- 電話予約があった場合のみ運行する「さざなみ号」。
電話で乗車意思を伝えて、富浦駅のロータリーで待っていると、時刻通り「さざなみ号」が来てくれました。
富浦駅から大房岬レストハウス前まで、乗車時間は15分ほど。運賃は200円です。
大房岬レストハウス前の停留所は、大房岬自然公園の駐車場にあたる場所です。ここからは、歩いて公園内を散策します。
展望塔があったので、登ってみました。展望塔からは、大房岬と東京湾を見渡せます。
弾薬庫跡・砲台跡
展望塔のすぐそばにあったのは、弾薬庫跡でした。
- 展望塔のすぐそばに、弾薬庫跡がある。
反対側に貫通していて、地下道のような構造です。通路には枝葉が堆積していました。
内部には、部屋が2つあります。
部屋の一つを覗いてみました。意外と広い空間です。
内壁は美しく、戦時中に造られたものとは思えないほどです。
床は水溜まりとなっていて、足を踏み入れることはできませんでした。
- 戦時中のものとは思えない美しい内壁。
弾薬庫跡の反対側の入口から外に出てみると、すぐそばに砲台跡がありました。
砲台跡は、その形状を上手く利用して、花壇に転用されていました。
- 砲台跡は花壇として活用されている。
発電所跡・探照灯施設
「発電所施設」と書かれた遺構がありました。
現在は、入口がコンクリートで固められていますが、実際は発電機を設置できるほどの空間があったと考えられます。
- 「発電所施設」と記載されていた。
発電所跡の脇にある階段を登っていくと、探照灯施設があります。
探照灯とは、夜間の攻撃に対して、敵の戦闘機や戦艦を照らし出すための装置です。レーダーがあまり普及していなかった当時、防衛上、重要な意味を持つ施設でした。
探照灯施設のそばには、10人以上が居住できるほどの、広い空間が造られていました。ここで兵士が待機していたのでしょうか。
少し下り勾配のトンネルを抜けると、巨大なコンクリートの建造物が姿を現しました。
トンネル内には、配線跡が遺っていました。
探照灯は、この空間に格納され、昇降機によって上げ下げする仕組みだったそうです。
こちらの施設も、非常に美しい状態で遺っています。
施設の巨大さとともに、高い施工品質が感じられる戦跡でした。
魚雷艇基地跡
海岸に降りていくと、コンクリート製のレールが、海に向かって延びている場所があります。
ここは戦時中、魚雷艇の発進基地として使われていたそうです。
また、海岸を囲うようにそびえる絶壁には、弾痕が遺っています。
ここは、射撃訓練場としても使われたようです。
- 今も弾痕が残る岩壁。
- 探索日
- 2012/02/04 - 05
このレポートには、さば柄氏 ・ nokinoshi氏 からご提供いただいた写真が含まれています。
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