足尾銅山 旅行・観光ガイド ブログ

松木渓谷・銅親水公園・足尾ダム・みちくさ

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銅親水公園

銅(あかがね)親水公園は、本山地区の北部に造られた「足尾ダム」と一体的に開発された公園です。

銅親水公園と親水公園
砂防ダムが連なっている。奥に見えるのが銅親水公園。

前述の通り、製錬所の煙害により、足尾の山々は壊滅的なダメージを受け、不毛の土地となりました。このため、雨で山から土砂が流れ出し下流に堆積する現象が多発、河川氾濫のリスクが高まったそうです。

足尾ダムは、上流の山々から流出した土砂を堰き止めるために建造された砂防ダムで、渡良瀬川・仁田元川・久蔵川の3つの河川が交わるこの場所が建設地に選ばれました。砂防ダムとしては、国内第2位の規模を誇り、水が激しく流れ落ちる様子は壮大です。

銅親水公園付近の岩山
岩肌が露出した斜面に足場が組まれ、植林が行われている。
足尾ダム
砂防ダムでありながら巨大で水量も多い足尾ダム。

銅親水公園には、足尾ダムをはじめとする、足尾の砂防に対する取り組みを学べる「足尾環境学習センター」が併設されています。

日本のグランドキャニオン

松木渓谷は、本山製錬所があった場所から北西方向へ約3kmの地点にある渓谷です。「日本のグランドキャニオン」という異名を持つ“曰く付き”の景勝地です。

本山製錬所からほど近くにあるこの渓谷は、製錬所の有毒な排煙により、徐々に植物が育たない不毛の地へと変貌していきました。木々は枯れて禿げ山となり、岩肌がむき出しになりました。かくして、松木渓谷は切り立った岩壁が特徴的な景勝地として注目を浴びることになったのです。

昭和54年当時の足尾ダム
足尾ダム建設当時は周囲がほとんど禿げ山だった。

渓谷に入る

親水公園から先、ゲートによって道路が封鎖されています。この先は、許可された車両だけが通行できるそうです。

ただ、自転車の通行は特に禁止されているわけではなく、進入が可能です。

進入禁止のゲート
この先は一般車両進入禁止。
松木渓谷への自転車進入
ゲートの高さが高いため、自転車はそのまま通れる。
松木渓谷と阿世潟の分岐点
一つ目のT字路を左折する。

渓谷内の道路は未舗装の場所が多く、工事現場のようになっています。一方で、電線や水道管が通っていて、不思議と山の中という感じはしません。

どうやら松木渓谷の土地は、古河機械金属の所有となっているらしく、道路は古河の私道のようです。(川の対岸は国の所有とのこと)

ゲートをくぐってから、途端に道路の整備が遅れている印象を受けましたが、私道だったからなんですね。

松木渓谷の水質
川の水は透き通っていてきれい。
上流側から見た砂防ダム
足尾ダムを上流から眺める。
松木渓谷入口の分岐
いよいよ松木渓谷に入る。

松木渓谷では、国が主導して治山事業が行われています。

治山事業に着手してからおよそ100年が経過し、徐々にその成果がでてきています。ただ、山が元の状態に戻るまでには、まだ数百年単位で時間が掛かるそうです。

国土交通省スーパーキャリア
緑化事業で使われる国交省のスーパーキャリア。
松木沢砂利プラント
砂利のプラントがある。

松木堆積場

渓谷の砂利道を進むと、黒い砂利のようなものが山盛りに積み上がった風景に遭遇します。ここは、「松木堆積場」と呼ばれる施設で、実は銅山の負の遺産の一つです。

松木堆積場の石垣。
開けた風景の中、ただ石垣の小道が続く。

この黒い砂利は、「カラミ」と呼ばれる銅の製錬過程で発生する廃棄物です。渓谷には、こうしたカラミの堆積場が数ヶ所設けられ、見上げるほど山盛りになった大量の廃棄物が、今なお残されています。

松木堆積場
カラミと呼ばれる銅山の廃棄物の山。
松木堆積場の作業小屋
カラミの山の麓に作業小屋と思われる建物が見える。

一見、砂利のようで害は無さそうに見えるのですが、鉛や亜鉛、カドミウムといった有害物質を含むそうです。したがって、当然この上に植物は生えませんし、土壌汚染や降雨時の流出など、不安要素はたくさんあります。

現在は、アスファルトの原料に混ぜるなどして、堆積場のカラミを減らそうと努力しているそうです。全体量からすると僅かですが、一時期よりカラミの量は減っているとのこと。

大量のカラミ
途方もない量のカラミが堆積している。
松木堆積場の前の道
堆積場の脇を抜けていく。

松木村

渓谷の道を進んでいくと、周囲の風景は、いっそう山深くなっていきます。

松木渓谷の山々
渓谷の奥に進むと、雄大な山々が姿を現す。

この場所には、かつて「松木村」という集落がありました。江戸時代後期には人口170人を抱え、豊かな村だったそうです。

松木村 墓石
道の脇に墓石が3つ建っていた。

しかし、製錬所の稼働のために木材が伐採され、さらに亜硫酸ガスの煙害を受けたことで不毛の地となり、松木村は次第に衰退していきました。

最後は古河鉱業が村の土地を買い上げる形で補償が成立、村は消滅しました。鉱山によって、足尾の街に活気が溢れていた一方で、環境破壊によって故郷を追われた人々もいたのです。

現在も、松木渓谷一帯が古河の土地になっているのは、そういう経緯からだと思われます。古河鉱業は、松木村の跡地を廃棄物の集積場として利用し、先ほどのような松木堆積場が生まれたのです。

松木村 石垣
石垣に沿って植樹され、公園のように整備された一帯。

松木村の跡地は、一面の荒野。散らばっている岩は、周囲の山から転がってきたものでしょうか。

これだけ広い土地が放棄されている様子は、不気味な感じがします。

松木村 写真
岩が転がっているだけの荒野。ここが松木村の跡地。

市民団体の碑が立っていて、「旧松木村に緑の森を」と書かれていました。

周囲を見渡すと、まだ小さな木の苗が、等間隔に植えられていました。

松木村 植樹碑
「旧松木村に緑の森を」と書かれた市民団体の碑。

よく見ると、所々に固まって植樹されている場所があります。それなりに背丈があるので、植樹してもう何十年も経っているのでしょう。ただ、まだ面積は限定的です。

松木村
奥に見える森は、廃村後に植林されたもの。
松木沢ヘリポート 看板
松木沢ヘリポートの看板。
松木沢ヘリポート 写真
植林活動でも使われる松木沢ヘリポート。

遊動楽舎「みちくさ」

森びとプロジェクト委員会」は、足尾をはじめとして、全国各地で植林活動を行っている市民団体です。松木渓谷には、この団体が運営する「遊動楽舎 みちくさ」という山小屋があります。

松木渓谷 ビニールハウス群
奥に見えるビニールハウスでは、植林用の苗が育てられている。

場所は、松木沢ヘリポートを過ぎたところで、親水公園のゲートからは約4km。開館時間は、土日・祝祭日の10:00~16:00だそうです(冬季期間中は休館)。誰でも入ることができ、休憩所として利用できます。

自転車で山小屋に近付くと、中からおじさんが出てきて、我々を迎え入れてくれました。ちょうど雨が強まってきたこともあって、急いで中へ。何もない松木渓谷において、こういう施設は貴重です。

足尾 みちくさ
松木渓谷にある山小屋「みちくさ」。

「みちくさ」の内部は、大きな机を囲むように椅子が並んでいて、コミュニケーションスペースのようでした。宿泊設備はなく、あくまで日中の活動拠点という位置づけらしいです。

遊動楽舎みちくさ内部
「みちくさ」の中はコミュニケーションスペースになっている。

施設内にはトイレがあるほか、情報発信のためのパソコンもありました。電力は、太陽光発電で賄っているようです。

温かいコーヒーをいただき、団体の活動や松木渓谷について話を聞くことができました。

遊動楽舎みちくさのスタンプ台
オリジナルのスタンプや缶バッジなどがある。

「森びとプロジェクト」では、山の状態に応じて、いろいろな樹木を植えているそうで、現在は、コナラ、スタジイ、タブノキなど。

坂を下ったところにあるビニールハウスで、まずは苗木を育てるそうです。最近では、津波被害を受けた南相馬の防潮林のために、ここで育てた苗木を送っているとのこと。

遊動楽舎みちくさ ストーブ
本格的なストーブがあった。冬場は寒そうだ。

「みちくさ」には、様々な人が来訪するそうですが、豊かな自然環境の中で、野生動物や野鳥を観察できるのも魅力の一つ。この山小屋の周辺では、オオルリ、キジ、キビタキなどが観察できるそうです。

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探索日
2014/05/04 - 05

このレポートには、さば柄氏 ・ nokinoshi氏 からご提供いただいた写真が含まれています。

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