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生野島(広島県)
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生野島について
生野島は、大崎上島の北西約500メートルに位置する島で、大崎上島町に属しています(2003年の合併前は東野町)。契島からも近く、生野島から契島の工場群を見渡すことができます。
周囲12.5km、面積は約2.3平方kmで、大崎上島町では、大崎上島に次いで大きな島といえます。
島のほとんどが山林で埋め尽くされていて、民家はごく僅かです。人口は30人にも満たず(2010年度時点)、高齢化が著しい過疎の島となっています。
福浦港と福浦集落
大崎上島の白水港からは、町営フェリーでおよそ10分程度。1日7往復運航されています。今回は、契島からの帰りに寄りました。
福浦港は、町営船「さざなみ」が発着する、生野島の玄関口です。島の南側に位置し、入り江に囲まれた静かな港となっています。
船には、契島から10人ほどが乗船していましたが、私以外、生野島で下船する人はいませんでした。私が下船すると、船はすぐに出港しました。
港には、瓦屋根の待合所があります。「福浦桟橋待合所」と書かれていて、トイレも利用できます。公衆電話が設置されていますが、自動販売機はありませんでした。実は、生野島には商店が無く、自販機も設置されていないため、食料・飲料を買うことができません。特に夏場、水分補給ができないのは辛いので、大崎上島で事前に購入しておくべきですね。
福浦港で、まず目に入ってくるのは、人口30人規模の島には似つかわしくない工場のような建物です。こちらは、アワビの養殖施設「マリーン生野」。かつて旧東野町の出資で設立された第三セクターの事業会社です。事業は上手くいかず、2001年に閉鎖されたとのことです。
この事業が軌道に乗っていれば、生野島の人口は増えていたかもしれませんね。
- アワビの養殖施設「マリーン生野」。
生野島では、80年代のバブル期に、リゾート開発が行われ、バンガローを備えたキャンプ場や海水浴場が整備されました。長年に渡り行政によって運営されていましたが、近年は老朽化で施設の補修費がかさみ、休業が続いていました。最近になって、民間企業への売却が発表され、再生に向けた改修工事が進められているそうです。
島の南側には、馬取海岸と呼ばれる砂浜があり、さながらプライベートビーチのようになっています。ビーチの様子は、竹原と白水港を結ぶフェリーから確認できます。
かんね集落
島内には集落がいくつかあります。町営フェリーが発着する福浦港の近くには、福浦集落が広がっています。このほか、「かんね」「草の浦」「月の浦」という集落がありますが、いずれも過疎化が進んでいます。
今回は、福浦港から、島を時計回りに回っていきます。
生野島には、島を周回する道と、真ん中を貫く道があります。島は東西に分かれていて、どちらかというと、居住者が多いのは西側のほうです。
生野島の道路は、軽自動車がギリギリ1台通れるほどの細い道です。路面は、小さな離島でよく見られるコンクリート舗装ですが、ガードレールやカーブミラーなどは一通り整備が行き届いていました。
福浦港から坂道を少し進むと、「かんね」地区に入ります。
あまり知られていませんが、生野島では多数の古墳が見つかっており、古いものでは、縄文時代の遺跡も発見されています。ここ「かんね」地区では、生野島で最古の遺跡が見つかっています。
- みかん畑が広がる「かんね」地区。
生野島は、大崎上島周辺の島々の中で、最も早くから人が住んでいた島と考えられています。遺跡からは、石斧などが出土しているとのことです。
また、江戸時代には、馬の放牧場として開拓が進められたとされています。
戦後、国の農業振興政策の下で生野島の開拓が行われ、柑橘類の栽培が奨励されました。この政策により、生野島は、かつてミカンの一大産地となったそうです。しかし、ミカンが全国的に供給過剰になると、価格が暴落し、生野島のミカン畑の大半が放棄地となりました。ミカン以外に産業を育成しなかったため、離島者が相次ぎ、過疎の島となったわけです。当時開拓されたミカン畑は、現在、自然に還りつつあります。
現在も、至る所にミカン畑が見られます。ミカン畑の手入れをするために、近隣の島から船で通っている人も居るようです。
元々生野島は傾斜地が多く、ミカン以外の栽培には適さない地形です。島民が島の産業で生き抜くには厳しい環境でした。80年代に行われたリゾート開発は、そんな生野島が見いだした一つの活路だったのでしょう。
かんね地区には、数軒の民家が点在していました。
- 草の浦方面へ向かう。
草の浦
かんね地区を抜けて、また少し進むと、「草の浦」地区に入ります。草の浦は、現在、生野島で最も居住者が多い地区といわれています。
草の浦地区は、ちょうど契島を望む位置にあり、精錬工場が稼働する音が聞こえるほどの距離にあります。
集落を見つけたので、自転車を置いて、坂を下っていきました。
斜面に沿って家々が並んでいて、一部の家屋には生活感があります。生野島に来て、初めて島民に出会えるかもしれません。
急な斜面に家を建てるため、立派な石垣が築かれていました。ちゃんとした造りの家が多く、生野島の中では、比較的豊かな地区のようです。
たまたま畑仕事をしていたおばあさんに出会い、挨拶したら、いろいろ島のことを教えてくれました。
このおばあさんによると、現在生活しているのは、島全体で6世帯。草の浦地区では、3世帯だけとのこと。「みんな出て行ってしまった。ここはもうだめ。」と寂しそうに話していました。
学校に通うのも大変な地域のため、中学生になると、家族で東京へ出てしまうことが多いのだそうです。
3年前の国勢調査では、26人の居住が確認されていましたが、実態として6世帯しか住んでいないのであれば、人口はさらに減っていることになります。集落のように見えていた家並みは、そのほとんどが空き家だそうです。
このおばあさんは、お孫さんが契島で働いているらしく、生野島の実家から通っているとのこと。おばあさんの「こんな所まで、来てくれてありがとう」という言葉が、少しもの悲しく響きました。
東邦亜鉛のカラミ堆積場
草の浦を抜けて、福浦港の反対側へ回り込む途中、黒い砂のようなものが山のように積み上げられている場所がありました。
詳細は分かりませんでしたが、ネットの情報によると、契島で排出された「カラミ」と呼ばれる廃棄物の堆積場のようです。そういえば、同じような光景を、足尾銅山近くの松木渓谷でも目にしました。金属の精錬過程で生じるものだと思われます。
契島には土地が無いこともあり、近接する生野島が廃棄物の集積場として選ばれたのでしょう。住民が少ない生野島では、反対運動が起きることもなく、むしろ土地が有効に活用されているといえるのかもしれません。残念ではありますが。
月の浦
福浦港の反対側には、「月の浦」という集落があります。草の浦に比べると、集落の規模は小さく、家屋の荒廃が激しい印象です。住民の気配はありませんでした。
ここには、有名な入り江があり、カヤックやボートで来島する人には人気スポットとなっています。一方で、集落のほうには、全く生活臭が感じられません。
生野島の過疎化が止まらなければ、ほかの集落も、いずれは月の浦のように、自然に還っていくのかもしれません。
島内を歩いていると、たまにパンパンという乾いた音が響いていました。猟銃の音だったようです。生野島の周辺では、イノブタの被害が深刻だという話もあります。
島の西側を回ったところで時間切れとなったため、東側の散策は諦めて、福浦港に戻りました。月の浦から福浦港までは、島の中央を貫く道を通れば、1.2km程度です。
定刻より10分ほど遅れて、帰りの船が来ました。
生野島の滞在時間は、わずか2時間ほどでしたが、様々なものを見ることができ、有意義な散策だったと思います。
- 探索日
- 2013/09/07
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