聟島(ケータ島) 旅行・観光ガイド ブログ
ケータ島 大山からの眺め
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大山の頂上
聟島の最高峰である大山に登ります。
南浜~大山山頂まで、徒歩約50分のルートでした。
大山は戦時中、海軍の通信基地があったようで、あちこちに日本軍の遺跡が遺っていました。
小笠原諸島の入口にあたる聟島は、戦時下において、重要な拠点だったのかもしれません。
大山に登ってみて改めて思うのは、聟島が非常に平坦な土地であるということです。
なだらかな丘陵地帯が広がる聟島は、人里離れた孤島であることを抜きにすれば、非常に開拓しやすい土地だったのかもしれません。
大山からは、これまで見えなかった島の南側も一望できます。
島の南側一帯は、駒ノ平(こまのたいら)と呼ばれ、こちらも平坦な土地が広がっています。
人が居住していた当時、駒ノ平ではさとうきびが栽培されたほか、牛・豚・羊・ヤギを放牧していたそうです。
一方で、河川のない聟島では、淡水の確保が非常に難しかったのではないかと想像されます。
聟島の人口が思うように伸びなかったのは、そこが原因かもしれません。
それにしても、今まで見たことのないような絶景です。永遠に心に刻まれるような感動を覚えました。
早く、植生が元の状態に回復することを願っています。
さて、ツアーはここで折り返し。みんなで記念撮影をして、船へ戻ります。
- 山頂にあった遺構。貯水槽跡と思われる。
- 「海軍」と書かれた石標があった。
南浜へ戻る
南浜へは、行きとは違う道を通って下ります。
ジャングルに分け入ると、何やらコンクリートでできたかまどのような設備がありました。
これは、島民の炊事場の跡だと思われるとのこと。人々はこのジャングルの中で生活していたのでしょうか。
- 島民の生活跡。炊事場と思われる。
大山の頂上から南浜までは、徒歩30分ほど。「PAPAYA Jr.」に乗り込み、沖に停泊中の「ミス・パパヤ」に無事帰還しました。
大荒れの帰路
楽しかった聟島探検も終わり、船は父島へ向かいます。
- 聟島を離れる。
船から聟島を見上げると、崖の上にアホウドリのデコイ(模型)が見えました。アホウドリを安心させて繁殖を促す仕掛けだそうです。
残念ながら、本物のアホウドリの姿を捉えることはできませんでした。
アホウドリよりも目に付いたのがカツオドリでした。彼らは好奇心旺盛で、珍しいものには積極的に近寄っていく習性があるらしく、我々の船にもしきりに接近してきました。
ちなみに、帰路は向かい波だったため大荒れ。船は上下に激しく揺れ、立ち上がれないほどでした。また、繰り返し波しぶきに襲われ、顔はずぶ濡れに。
まるでスプラッシュマウンテンのようなこの状況が2時間続き、父島に着いた頃には、全員ヘトヘトでした。(2時間海水を浴び続けたため、顔が潮まみれになっていました)
最後の最後に、海の怖さを思い知らされた格好です。
- 探索日
- 2012/11/23
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