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富岡製糸場と「蔵」のかき揚げ丼
富岡製糸場と「蔵」のかき揚げ丼
先日、富岡製糸場へ行ってきました。
13時頃着いたので、まずは腹ごしらえ。地元の魚屋さん「大塚水産」が経営している食事処「蔵」で昼食をとりました。
このお店、かき揚げ丼が名物なんですが、ボリュームがすごいんです。お椀からはみ出すほどの大きさ。しかも、普通かき揚げには使わないであろう大きめのエビが何匹も入っています。見た目のインパクトだけでなく、味もなかなか良かったです。
油っこいかき揚げだけだと、食べていて辛いものがありますが、マグロのお刺身や味噌汁も付くので、結構飽きずに食べきることができました。これで850円は安いです。
さて、本題の富岡製糸場。あまり基礎知識なく行ったので、ガイドツアーに参加して、説明を聞きながら回りました。
印象として、敷地は思ったほど広くありませんでした。
富岡製糸場の顔となっているのが、木骨レンガ造りの繭倉庫。東西に2棟建っていて、正面口に近い東繭倉庫は、一部が資料館や土産店として活用されています。
東西繭倉庫の間には、乾燥場があったそうですが、去年の大雪で半壊の被害を受け、再建中でした。現在は煙突だけが形をとどめています。
富岡製糸場は、元々官営工場だったため、労働条件や福利厚生は公務員並の好待遇だったとのこと。工場では主に女性が働き、敷地内には、工女向けの宿舎や診療所が完備されていました。また、給与は当時としてはかなり高額だったらしく、工場の周辺には工女向けの飲食店や美容院などが並び、地域経済に多大な影響を与えていたそうです。
どうしても明治期の工場遺産というと、汚い・過酷な労働環境のイメージがありますが、国が造った模範工場だけに、今で言うホワイト企業そのものだったようです。
富岡製糸場で最大の見所は、やはり繰糸場。奥行き約140メートルの場内に、300個の釜が設置されていました。これは、当時世界最大規模だったそうです。
現在も場内には、自動繰糸機が残されています。これは、昭和62年の操業停止まで使われていたものだそうです。
繰糸場の建物には大きな窓があり、場内は明るい印象です。これは、照明を確保する以外に、湿気を逃がす目的もあり、操業中は両側の窓を開け、風通しを良くしていたそうです。建物が木造のため、湿気に対してはかなり気を遣っていたのでしょう。
1時間ほどのガイドツアーの後、ツアーで行かなかった場所を隈無く歩き、合計2時間ほどでした。富岡製糸場の周辺の街並みもじっくり散策しましたが、一日潰そうと思うと、時間を持て余しますね。事前に歴史背景を勉強しておくと、より興味を持って、散策できたかもしれません。
- 投稿日時
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2015年03月14日
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